がんばれ!オープンバルブマン!群馬ツーリング ~その2~

 県道466号、122号を引き返し万座温泉へ戻る、そこから今回の本命、国道292号線「志賀草津道路」へ。実は草津白根山の火山活動が活発になったため、草津からここ万座の間8.5キロが通行止めになっている。そのため、群馬側から渋峠へ向かう場合、万座ハイウェイ通るルートでないと向かうことができないのだ。

 国道292号線に入りぐんぐんと山を登っていく。万座からは渋峠まではそう距離はない、途中視界が開けた山田峠という場所を通るのだが、ここの景色は個人的に志賀草津道路1番のお気に入りである。駐車スペースはないので、景色を楽しみながらゆっくりと走ることにする。

山田峠付近

 山田峠を過ぎ、ヘアピンカーブを2か所ほど抜けた先に、「日本国道最高地点」の碑がある駐車スペースが現れる。唐突にポンっと現れるので、前2人が行き過ぎてしまった。こんな時にインカムがあるとすぐに伝えることができるので便利である。シーズンともなるとこの碑の周りには路上駐車で渋滞ができるぐらい混雑する場所なのだが、幸い平日ということもあり空いていた。

 

碑の前に3人オートバイを停め記念撮影をする。標高2172m、無事にみどりちゃんでも登りきることができた。余談だがここは「国道」の最高地点であり、自家用車で到達できる国内最高地点は乗鞍スカイライン無き後、富士山スカイラインの富士宮口5合目であり標高は2380メートルとなる。また、車道「峠」の最高地点としては山梨と長野をむすぶ林道川上牧丘線および林道村道秋山・川端下線にある「大弛(おおだるみ)(とうげ)」(似ているが国道20号高尾~相模湖間の峠は大垂水(おおたるみ)峠)で標高2360メートルである。こちらもぜひともみどりちゃんで到達してみたい。

 誰もが碑の前で愛車と記念撮影をしたいもの、撮影後はサッと撤収し後に来たオフ車のお兄さんに場所を譲ってあげた。ここから少し長野側へ走ると、渋峠ホテルがあり、国道最高地点の到達証明書を100円で購入できる。また、レストランも営業しているのでお昼ごはんはそこで食べることにした。3人とも入ってまずはトイレ、気温は11度、これではトイレも近くなるはずだ。レストランでは餡子猫氏はカレー、人工空ニキは山菜うどん、僕は山菜そばを注文。ありがたいことに暖炉があり、僕らはその前のテーブルに陣取って冷えた体を温めた。

 

お昼ごはんを食べたのち、今度は今夜の宿である餡子猫ガレージへ向かうため再び国道292号、万座ハイウェイを通り山を下りる。標高1000メートルで気温は約6度変わるので、2000メートルでは約12度、下界は23度ぐらいだろうか、厚着のままだと少し暑いほどであった。行きと同じ道を通るのは勿体無いということで、榛名山近くの道を走り高崎まで抜けることとなった。餡子猫氏案内の元、山道を通る。これが結構いい道だったのだが、どのようなルートを通ったかが曖昧で思い出せないのが悔やまれる。渋峠から2時間弱走り、国道406号沿いの道の駅くらぶち小栗の里で休憩。ここまでくれば餡子猫ガレージまではあと1時間だ。安心感と前日の「聲の形」のせいであまり寝れていたかったことも災いし、どっと疲れが襲ってきた。そこからテンションがおかしくなっていたのか、インカム越しに即席の歌を披露したりして人工空ニキとなぜか大盛り上がり、気づけば餡子猫ガレージ到着していた。


 出会いあれば別れあり、翌日はのんびり起床し朝食を食べ10時ぐらいに餡子猫ガレージを後にする。前日3台の乗り比べができなかったので、神流川沿いにある温泉施設「かんなの湯」の広大な駐車場で試乗会を行うことにした。空はさわやかな秋晴れで、とても気持ちがいい、施設の前を走る神流グリーンラインは信号がほとんどなく、試走にはもってこいだった。

さわやかな秋晴れ

はじめに餡子猫氏のCD250に乗せてもらう、左チェンジなので最初少し戸惑うが、なんとか乗りこなせた。餡子猫氏曰く「8000回転ぐらいまで回しても大丈夫です」とのことだったので、ビュンビュンと回して走行する。在りし日のCB450を思い出す高回転型のエンジン。6000回転ぐらいまで回すと官能的なホンダサウンドが、実用車であるCD250でも奏でられて一瞬で虜になってしまった。僕は回して走るのが嫌で低回転でトルクのあるOHVのビックツインを選んだわけであるが、たまには高回転型のエンジンもいいものだ、俄然CB72系が欲しくなってしまった。(もう増車はしないぞ!)

次に人工空ニキのTR25Wに乗せてもらう、走ってみるとこれで渋峠までよく登れたなと驚いた。さすがB20に乗っていただけのことはある人工空ニキである、旧車を操るスキルはかなり高いなぁと感心する。

みどりちゃんに乗る餡子猫氏

CDに乗りご満悦のふじおか Photo by Ankoneko

ひとしきり試乗会を終え、餡子猫氏と別れる。人工空ニキと僕は道の駅花園まで一緒に走りそこで別れた。帰りもみどりちゃんは関越、外環、常磐道とのんびり快調に走行し、15時ごろには柏の自宅に帰宅。到着早々今回断念した新潟周りのルートを走る計画を練り始めるふじおかであった。

がんばれ!オープンバルブマン!群馬ツーリング ~その1~

 台風が去ったというのに空は前線の影響でどんよりの曇り、そんな中僕とみどりちゃんは中央高速をいつものように50マイル巡行でのんびり走行している。先月、ツイッターの知り合いの餡子猫氏からツーリングの誘いがあった、ほかにXS乗りのShimoさんも誘っているようで、お二人共お会いするのが久しぶりなのでぜひと参加させてもらうことにした。また、僕の誘いで最近「あがり」のオートバイであるTriumph TR25Wを手に入れて絶好調の人工空ニキも参加することとなり、段取りとしては1012日の8時に関越高速の渋川伊香保IC近くのセブンに集合し、餡子猫氏の地元である群馬をツーリングした後、餡子猫氏のガレージに宿泊するというとても楽しみなツーリング計画となった。

人工空ニキのTR25W250ccということで高速で無理をさせるのは避け、下道で平塚から来るという。8時集合と早い時間なので、11日の夕方に家を出発し、高崎あたりのビジネスホテルに前泊して参加することにするらしい。ただ、さすがにひとりで夜に高崎まで下道での移動は酷だと思ったので、僕も拝島あたりで合流し一緒に前泊をするという流れにした。

 

ツーリングが近づくにつれ、天気が怪しくなってきた。ふじおか晴れ男伝説はどこへやら、台風14号が発生し日本列島に接近している模様、天気予報に一喜一憂しながらツーリングの日が来るのを待つ。そして出発の11日、幸い台風の影響のピークは前日の10日であり、雨はやんでいた。どんよりと曇り空が広がっており、雨雲もちらほらといった感じである。荷物をまとめ、14時ごろ柏の家を出発する。実は9月頭に継続車検を取ってから、1ヵ月ちょいまったく乗れていなかったから少々不安があった、しかしそんな不安をもろともせず、みどりちゃんはティクラー1発で目覚めてくれたのであった。

 

常磐道、首都高、中央道と快調にみどりちゃんと走行した。石川PAで少し休憩する、まだ時間があったので昭島のじいちゃんの家に顔を見せに寄ることにした。じいちゃんばあちゃん、飼い犬のポメ共々、元気そうで何よりである。お菓子とお茶をもらいしばし一服、1時間ぐらい滞在した後、ちょうどタイミングがよさそうだったので、集合場所のセブンイレブン横田基地前店に向かった。

 

 17時過ぎ、トコトコトコと16号を心地いい排気音のオートバイが走ってくる、人工空ニキとTR25Wちゃんの登場だ。お互い実車を見るのは初めてだったので、いろいろと観察しあう。TR25Wはみどりちゃんに比べ250ccということもあり、一回り小さい感じなのだが、ホイールは前後19インチ、オフロード走行を考慮し地上高も高めにとってあるため、ライダーが乗車した感じはさほど変わらないサイズ感であった。人工空ニキはここまで2時間ちょっと平塚から走ってきて多少疲れているようだが一服により体力を回復、インカムをペアリングし走り始める、これからの旅への高揚から二人共テンション爆上げとなるまでそう時間はかからなかった。

 16号、299号を走り埼玉県道30号線へ入った時にはもう日が完全に暮れていた。だんだんと民家の明かりが減ってくる、明るいときはどんな感じなのだろうと想像しながら走る。途中30キロでゆっくり走るトラックにつかまりちょっとロスがあったのだが、無事に小川町に到着。ここから254号へ、県道131号を経由し20時頃に国道17号に合流した。合流してまもなく神流川を渡り群馬県に入る。ここまでくれば安心だ、ホテルまで近いので夜  ご飯を食べることにし、ちょうど左側にガストがあったのでそこで済ませることにした。

 せっかく群馬に来たのだから釜飯やとり飯のひとつでも食べればいいのにとこれを読んでいる方は思うだろうが、オートバイに乗ることがメインのこの二人、おいしくおなかが満たされればなんでもいい人間なのである。

ガストからは5分ほどで今晩の宿「ホテル シーラックパル高崎」に到着した。ちょうど軽用の駐車枠が空いていたので、そこにオートバイを停める。部屋は男同士、間違いが起こるとまずいので(僕の寝相が極端に悪いから)ツインで朝食付き、さらに有料チャンネルや漫画雑誌が読み放題付きで、2人で破格の5700円ぐらいであった、まさにGo to トラベル万歳である。さらにこのホテルはコーヒーやホットミルクなどが飲み放題らしい、たいがい朝食時間帯のみドリンクコーナーが無料で使えるというビジネスホテルが多い中で、これはうれしいサービスだ。

部屋に入ったところでShimoさんからラインが届いた。どうやら家の都合で参加ができなくなってしまったらしい。Shimoさんは僕ら独身満喫族とは違い家族持ちなのでいろいろと大変なのである。残念だがまた次回のツーリングでお会いすることにしよう。

 

翌朝、630分にかけた目覚ましで目が覚める。だめだ眠すぎる。昨晩、寝る間際になって僕が有料チャンネルで劇場アニメ「聲の形」を再生しはじめ、結局2人とも最後まで見てしまったから、就寝は2時過ぎという前泊した意味をまったくなさない結果になってしまった。パパっとシャワーを浴び、朝食をとる。朝食はコロナの影響で大幅縮小となっていて、ちょっと物足らなさを感じた。集合の時間が迫ってきたので荷物を急いでまとめ、745分に宿を出発、集合場所のセブンイレブン渋川半田店へと向かった。

大変申し訳ないことなのだが、集合場所には25分ほど遅刻をしてしまった。久しぶりの餡子猫さんとの再会、そしてTR25Wを見るなり開口一番

「オープンバルブなんですか?」

と言う。何のことかと思って人工空ニキを見てみると蒼い顔、なんとTR25W排気側ロッカーキャップがついていないのである。こちらもびっくり、どこで落としたかぽっかり開いたロッカーボックスからは、見事にロッカーアームが露出していた。

ガムテープで塞ぐオープンバルブマン Photo by Ankoneko

昨日の写真を見返してみると、夜ご飯を食べたガストの時点ではついていたことが確認できた。となるとホテルからセブンまでの道中に振動で緩み落下した可能性が高いのだが、ロッカーキャップが脱落するなんて聞いたことがない。TR25Wのロッカーキャップの形状は60年代ホンダ車でもよく見られたが、緩んでいたことはなかった。恐るべし英国単気筒車の振動?(整備不良?)である。

とりあえず、このままでも多少バルブガイドとバルブの隙間から圧縮が漏れるぐらいで問題はないと判断し、保護のためガムテープを貼って、ツーリングを続行することとした。

 

ツーリングの計画として、渋川からそのまま国道17号を北上し三国峠を越え新潟へ、津南を抜け飯山線沿いの道を走り長野側より国道292号線に至り国道最高峰である渋峠を抜け餡子猫ガレージに戻ってくる約300キロの行程を計画していたのだが、前日の夜更かしとTR25Wの部品脱落、のんびり楽しみたいということで急遽コースを変更し、国道353号線で中之条を通り万座ハイウェイを抜け有名な毛無峠へ、そこから292号線で渋峠に向かい折り返して餡子猫ガレージへ戻ってくる行程とした。

渋川の市街地を抜け国道353号線へ、この道は何度も通っているがずっと片側一車線のため一度流れが悪くなるとひたすらのんびり走行となってしまう。以前Shimoさんと走った時も二人とも徹夜明けで来たため眠すぎて死にそうになった覚えがある。幸い、今日は順調に流れてくれているようだ。左手にはずっと吾妻川が流れのどかな田舎の風景といった感じで、オープンバルブニキはこの時点で「あーめっちゃいい景色、この感じ好き!」とインカムで話していた。この後には毛無峠、渋峠が控えているので感動しすぎて昇天しないか今から心配である。

小一時間走っただろうか、八ッ場ダムの近くに道の駅があるのでそこで休憩をすることにした。前日までは曇り予報だった空は今や太陽が出ていて僕の晴れ男記録をまた塗り替えてくれている。この先だんだんと気温が下がってくることが予想されるのでジャケットの下に一枚着込んで準備をした。一服後出発したのだが国道353号線へ戻る急こう配の接続道路でインカムから悲鳴が聞こえる

「あ、だめだ登んない~~~」

やはり勾配がきついと60年代の英国250ccの車両だと厳しいらしい、渋峠が楽しみだ。

道の駅にて

 国道353号線から406号線へ入り、吾妻線の万座・鹿沢口駅近くで鋭角に右折し万座ハイウェイへ。ハイウェイと聞いてオープンロッカーニキは高速道路を想像しビクビクしていたのだが、在りし日の吾妻スカイラインや伊豆スカイライン同様のただの観光有料道路であるからのんびり走れる道である。料金所でちょっと高めの750円を支払う、上信越高原国立公園の中を少しづつ標高を上げながら快走と行きたいものだがTR25Wにはちょっと厳しいもので時より2速までギアを下げ頑張って登ってゆく。しだいに木々の紅葉が目立ってきて、万座温泉手前ではちょうど見ごろの紅葉でとてもきれいであった。

 万座温泉から毛無峠へと向かうため、県道466号、112号を走る。先ほどの万座ハイウェイとはうって変わって、こちらの道は車一台分の幅員しかないため対向車に注意し慎重に走る。途中に民家などは一切なくかなりの秘境感である。毛無峠が近づいてくると路面が荒れだし、ついにはダートとなる。餡子猫氏はモトクロスなども経験されているので、うまく乗りこなしているのだが、僕はビクビクであった。

Photo by Ankoneko

Photo by Ankoneko

ダートの区間はすぐに終わり、目的地の毛無峠へと到着した。ネットで有名な「この先危険につき関係者以外立ち入り禁止 群馬県」の看板を前に記念撮影。僕は4度目の訪問だが、以前より看板がだいぶ薄れているように感じる。また、訪問する人も増えている印象だ。人工空ニキはコダックのシグネット35でパチパチとフィルムに風景を収めている。森林限界を超えているためあたりには高い木々はなく

Windows XPでしょ」

Windows XPだね」

なんて会話をした。(XPのデフォルトの壁紙に風景が似ている)

Photo by Jinkoku


 

毛無峠の標高は1800メートルちょっと、ここからさらに300メートルほど標高を上げ、目指すは国道最高峰の渋峠、はたして無事にたどり着けるか、乞うご期待!

20代最後の夏「無駄を楽しむ旅」~その5~

 翌朝、5時半ごろに目が覚めた、船は三陸沖を航行中のようだ。あれほど曇っていた空が嘘のように晴れている、なんだか悔しいのでお風呂に入ることにする。24時間入浴可能なこともあってか、大浴場は貸し切り状態であった。旅の疲れを癒すように長めに入った。お風呂から上がり、朝食をいただく。チケット1100円をを購入しレストランへ、朝食はバイキングだったが、疲れもありあまり食べれなかった。食べ終わり船内をうろうろしていると、アナウンスが入る。どうやら船はもう宮城県牡鹿半島沖を航行中らしい、船窓には恐山、出羽三山と並ぶ奥州三大霊場の金華山の姿が見えた。


 荷物をまとめ下船の準備はじめる、旅情あふれる船旅も来年までしばらくお預けた。苫小牧港を出港するときに、家族だと思うのだが母親と子供がフェリーターミナルから手を振っており、船上のお父さんがそれに答えて大きく手を振っている姿が、美しい夕暮れと相まってとても感動的だった。格安航空や新幹線におされ乗客の減少が続く長距離航路だが、いつまでも人々の思いを乗せて走り続けてほしいと思う。

 定刻の10時仙台港に到着、今度は逆に暑い。仙台港北ICから仙台東部道路にのる、土曜日なのでお出かけの車が結構多いようだ。仙台若林JCTから仙台南部道路へ、ここは旧車にはつらい対面通行であるが、車の多さもあり60~70キロで流れていたので一安心だ。東北道へ合流し、実家の最寄りの福島飯坂ICで流出する、実家まではもうすぐだ。

 実家につくと下二人の弟たちがT140をいじっていた。真ん中のなまず弟は、パンツ一丁で作業しておりとてもアブナイ雰囲気が出ている。どうやら先日マフラーが高速走行中に脱落したようで、各部取り付けの見直しと、接続部分にガスケットを塗って排気漏れの防止をしているらしい。そして、取り付けたはいいが今度はキックペタルを踏み下ろしたときに干渉するようで悩んでいた。早速見てみると何のことはない、マフラー取り付けステーをフレームの外側につけてボルトで締結していたので、フレームの内側に変更した。これで数ミリ内側になり、キックペダルとの干渉を防げる。「頭を使えあ・た・ま」と嫌味ったらしく言っておいた。


 かくして僕は、20代最後の夏の旅を終えた。総走行距離は1197キロ、みどりちゃんでのロングツーリングはほぼ初めての状態で不安であったが、この旅を経て一段と「人馬一体」に近づけたかな?と感じる。そしてこれから、今度は弟たちとの楽しい夏休みが始まるのである。


20代最後の夏「無駄を楽しむ旅」~その4~

 

This is Hokkaido

北海道2日目、翌朝,6時に設定したアラームで目が覚めた。今日は曇りのち晴れだそうだが、依然として厚い雲に覆われている。そして寒い、昨日よりも寒い。気温は14度を指している。まだ8月というのに恐るべし北海道。

富良野と決めてはいたものの、具体的にどの辺りが北海道感のでるスポットなのかはわからないので、前夜にいろいろといいスポットを調べてみた。上富良野の「パノラマロード江花」、美瑛の「ジェットコースターの路」、同美瑛の「丘めぐり」、この辺りを走ってみようということにした。

 ペンションを7時にチェックアウトし、みどりちゃんを目覚めさせる、夜も雨が降ったのか結露でシートなどがびしょ濡れである、簡単に水気をとってあげて出発する。パノラマロード江花まではさほど距離はない、暖気がてらのんびり回転を上げずに走った。新空知橋を渡りすぐの交差点を左折し富良野市街から逸れ北上。段々と民家が少なくなり、すぐに広大な畑が現れた、これぞ北海道的風景と気分が高まる。そして、はじめの目的地のパノラマロード江花に到着した。まだ8時前であった為、観光客の姿は皆無、時折地元の車が通るぐらいで景色を独り占めすることができた。広大な畑の真ん中を下り坂の路がはるか先まで続いており、その先に富良野の市街地が見える。晴れていれば最高なのだろうが、曇でも十分満足できるロケーションであった。


パノラマロード江花


 ひとしきり写真撮影をおこなった後、道道759号経由で美瑛へ向かう。地図上ではなんてことはない距離のように見えたのだが、地味に距離があった。ジェットコースターの路は、畑の中を遥か先までアップダウンを繰り返す一本道が続いているロケーションであり、個人的にはこちらのほうが感動的だった。夢中でシャッターを切る、やはり観光客の姿は無く、思う存分撮影を楽しんだ。


ジェットコースターの路

まだ時間があったので、今度は美瑛の「丘めぐり」に向かった。CMなどで使われた風光明媚な丘がたくさん点在しており、有名な「マイルドセブンの丘」「ケンとメリーの木」などをめぐることができた。朝に比べだいぶ気温が上がってきた。時刻は10時、そろそろ苫小牧港に向けて走りだそう。



富良野からきた道を戻るのはなんだかもったいない、帰りは別の道で帰ることにした。富良野から道道135号を経由して国道452号を走る。ツーリングマップルには「GSなしガソリン残量注意」の怖い文字、桂沢湖から道道116号で三笠に出た。三笠から道道30号、45号を通り恵庭市へ、道道45号は民家こそあるもののひたすら真っすぐの道で、車の流れもそこそこあるのでとても眠かった。さすがに飽きたので、途中のセイコーマートで休憩。駐車場で現行のトライアンフスクランブラーに乗っているおじさんに声をかけられた。なかなか国産旧車に比べ、英車に乗っていると声をかけられることが少ないのでなんだか嬉しい。やっと苫小牧に至る国道36号線に出た頃にはお昼を過ぎていた。お土産を買っていなったので沼ノ端近くの道の駅ウトナイ湖に寄る、少し買いすぎたか積載に手間取った。帰りのフェリーは太平洋フェリーで、出港時刻は19時だ。乗船手続きのために2時間前までには苫小牧港に付けばいいのであるが、現在時刻13時、まだ4時間ある。そこで僕は、国道235号線を日高方面に走らせることにした。今回の旅では海沿いを走ることがなかったので、少し海が見たくなったのだ。しかし、厚真町を過ぎても海はチラチラと見えるだけで、期待していた海沿いを走る道とは程遠い感じである。地図をよく見ると日高町辺りまで行かないと、本当に海沿いを走ることはできないようだ。仕方なくむかわ町の道の駅むかわ四季の館で折り返すことにした。日高町、襟裳岬方面はまたの機会に訪問することにしよう。

だいぶ時間を潰すことができ苫小牧港には16時ぐらいに到着した。すでに今日の宿である「きたかみ号」は入港してしている。仙台行と書かれたレーンに一番乗りでみどりちゃんを停める。隣の行きに乗った商船三井フェリーの大洗行きレーンにはたくさんの旅を終えたオートバイたちが並んでいた。乗船手続きを終え、小腹がすいたので待合所の立ち食いそば屋でうどんを食べる。そういえば朝から何も食べていなかった、そんなこともありとても美味しい。食後、港の歴史などを展示してあるミュージアムをふらふらしたり、友人にライン通話で自慢したりしていたら段々と陽が傾いてきた。そろそろ乗船開始時間だ。仙台行の駐車レーンに戻ると5台ぐらいのオートバイが止まっている。係員が乗船の合図を出す、北海道ともお別れだ。


駐車をすませ旅客区画へ、入り口がわかりづらく少し迷ってしまった。旅客区画は2階層と商船三井のさんふらわあに比べ少し狭いように感じる。行きは開放型の寝台だったが、かなり音に気を使ったりして疲れてしまったので、奮発して今日は個室を予約した。2畳ほどのスペースだが、テレビやテーブルなどが置かれ、何より天井が高く立って背伸びができるのが嬉しい。部屋に荷物をおき、船内散策。内装はさんふらわあよりも豪華で、レストランはビュッフェ方式、軽食スペースもあり、お風呂は24時間入浴可能らしい。先ほどうどんを食べたばかりであまりお腹は減っていないが、空いているうちに夕ごはんを食べてしまおうとレストランへ。値段は2100円と少々高価だが、せっかくなのでとチケットを購入した。夕食を食べ始めてまもなく、とてもきれいな夕焼けが西の空に現れた。これほど美しい夕焼けは滅多にないようで、レストランのシェフも窓の方へゆき空を眺めている。思えば、当初の予定ではもう実家に付いているはずである。それが、今は1000キロ離れた北の大地だ。往復のフェリー代だけで6万円ちかくもした、ほとんどどんよりな天気であったし、雨にもふられとても寒かった…それでも、来てよかった北海道。20代最後、僕にとってこの旅が単なる「無駄」の一言だけでは済ますことのできない特別なものになったと、美しい夕焼けを見ながら振り返る。

「ジャーン、ジャーン、ジャーン」

出航を告げるドラが鳴る、「港 出船の ドラの音愉し」と岡晴夫のヒット曲を思い出す。きたかみ号は静かに苫小牧港を離れ、仙台港への航海を開始した。

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